11月30日は「年金の日」 年金と戦争の歴史

本日、11月30日は「年金の日」だそうです。

昨今、日本の年金制度は非常に厳しい時代となったと考えている方も少なくありません。

現役世代の減少、少子高齢社会、国の財政不安など将来の生活の基盤である年金は今大きく揺れています。

そこで今回は日本の年金制度と戦争について触れていきます。

 

何故、年金と戦争が関係あるのかは一見するとわかりづらいかもしれません。しかし今後の社会保障がどう変化していくかを考える上で戦争の歴史は社会保障との結びつきが強い一例だと考えています。

 

日本の年金制度の始まり

明治維新後、江戸幕府に代わり明治政府(1867年)が誕生しました。

岩倉使節団という代表者たち107名が欧米へ渡り、

諸外国についての議会や制度などを学んだのは明治4~6年(1871~1873年)とされています。

まだ飛行機もない時代、1871年11月12日に横浜港からアメリカ号という船でアメリカへ渡り、サンフランシスコへ到着。

アメリカ本土を横断して首都ワシントンDCへ到着したのが1872年3月。

使節団はそこから約5か月にわたりアメリカの議会や政治、社会制度を学びます。

その後、8月に大西洋を渡りイギリス・リバプールへ。

ロンドンやスコットランドなど各地を回り、ヴィクトリア女王と謁見。

当時世界一と言われた工業先進国を目の当たりにしました。

4か月後の12月にはフランスに渡り、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、

デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア(ウィーン万博)、スイスの計12か国を回り、

スエズ運河を経てインド・セイロン島、シンガポール・サイゴン・香港・上海などの欧州列国の植民地を経由して

1873年9月13日に横浜港へ帰ってきました。

 

帰国後、新しい国を構築するために使節団だった面々は各地で活躍していきます。

1875年、当時の日本帝国海軍の退役軍人のための福利厚生として海軍退隠令が生まれ、後の共済年金となります。

その後、日清戦争(1894年)・日露戦争(1904年)を経て日本は欧州列強諸国に追いつこうとする急速な発展を遂げていきます。

1937年から始まった日中戦争、そして1941年から始まった太平洋戦争の最中の1940年に

いわゆるサラリーマンのための労働者厚生年金(現在の厚生年金の原形)がスタートします。

果たして戦争をしている国が、将来の生活を支える年金制度を本当に約束できたのでしょうか?

 

歴史とは戦争に勝った側の都合の良いものに書き換えられます。

何が本当の戦争の引き金だったのか、現在の私たちには想像をするしかありません。

しかし様々な歴史の解説を読み解いていくと日本はまず1910年に韓国併合を行い、

その後太平洋戦争に敗戦する1945年までの長きにわたり朝鮮半島を支配していたのは紛れもない事実です。

(慰安婦問題や植民地であったかは兎も角)

 

これは個人的な解釈ですが社会保障というのは「税」と非常によく似た徴収制度ではないでしょうか。

税金を上げると言われると国民の多くの人が反発をします。

しかし社会保障を充実させると言えば、自分たちにもメリットがあると考え、国としては徴収が増税よりは容易になる。

しかも年金という先の将来の話ですから、随分お金を集める側からすれば都合の良い制度ではないでしょうか。

(しかもそれを支える現役層が多い時代には特に)

食料・エネルギー問題と戦争

 

韓国の近代化に大きく貢献した、アジアの植民地からの開放などと綺麗ごとではなく、

当時の日本は大国である中国(清国)・ロシアの脅威にさらされていました。

韓国を併合したのは日清戦争(1894年)の戦勝によるものでしたし、

その後のロシアとの日露戦争(1904年)は、ロシアの南下に対抗するものだったといえる側面があります。

 

1894年 日清戦争

1904年 日露戦争

1910年 韓国併合

 

この歴史上の連続した出来事は戦時日本の発展と同時に、

諸外国を戦争で負かして植民地化していく帝国主義の時代であったと言えます。

 

また当時の日本は農業が主体の一次産業が大部分を占めていました。

都市部でこそ機械化が進んでいましたが、農業はトラックやショベルカー、トラクターなどがあったわけではなく

農作物の生産性は現在と比べて相当効率の悪い時代だったのではないでしょうか。

急速な人口増加による食料の問題、また都市の発展に伴いエネルギー資源の問題も拍車をかけたことが考えられます。

当時のエネルギー資源の中心は石炭でした。

九州や北海道などにはかつて炭鉱として栄えた地域があります。

これらの地域は石炭の採掘と共に発展し、

そして石炭から石油へのエネルギー資源のシフトによって衰退していきました。

 

幕末、浦賀に黒船としてやってきたペリー総督の来訪を当時の人はこのような言葉で表しています。

「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られず」

(茶の上喜撰と蒸気船をかけている)

 

江戸末期~明治時代の初期にかけて船をはじめ、エネルギーは石炭が主流であったことは

この軍艦のエネルギーが石炭による黙々とした煙に象徴されるように想像することができます。

まだ機械化という技術のなかった当時の日本人は蒸気を黙々とあげる黒船に怯えたとされています。

 

 

エネルギーシフト 石炭から石油への転換

 

一方で日本が明治時代に入った直後の1875年、日本で共済年金が誕生した年に

ヨーロッパではノーベル財団の起源となったダイナマイトが作られたことにより、

爆破が容易になり油田の掘削に多大な影響を与え、石油競争が始まりました。

1883年にこの採掘された石油の販売を一手に引き受けたのがパリのロスチャイルド家で、

オランダのアイルコ・ジルカーが対抗してロイヤル・ダッチ石油(現在のシェル)を設立。

ロックフェラーはアングロ・アメリカン石油(現在のエクソンモービル)を設立して対抗しました。

 

下記は2014年の石油の生産量(青)と消費量(オレンジ)ですが、

アメリカ・サウジアラビア・ロシアなどが突出して高いのが理解できます。

石油の採掘が始まって、本格的なエネルギー転換が起きた1900年頃も

アメリカとロシアという二大生産地は上位にいたとされています。

 

日本はロシアと日露戦争をしたのは南下を阻止するためだったというのは事実ですが、

それ以外にも石炭から石油へのエネルギーシフトを乗り越えるために領土・利権を求めて大陸へ戦争を仕掛けていった。

東南アジアなどへの進出もロシアの広大な土地を戦勝として奪えなかったために、

南下してエネルギーを確保するためのものだったという見方もできます。

太平洋戦争が始まった本当の理由は?

 

ハルノート(正式名:合衆国及び日本国間の基礎概略)と呼ばれる記録にはルーズベルト大統領が日本に最後通牒をする際の記録が書かれているとされています。

正確な中身については秘匿されていますが、ここにはニューデイル政策の失敗(大規模公共事業による雇用の創出は出来たが、財政は赤字になってしまった)による経済打撃、そしてこの経済危機からの脱却のために戦争が必要である、しかし国民感情から戦争を自ら仕掛けることはできず、日本への石油の輸出を停止することで日本側からの先制攻撃をさせるという手段に出たという記録がされているというのです。

央の人物がコーデル・ハル国務長官

彼の名前から「ハルノート」と呼ばれるようになった。

 

もしこの事が事実だとすれば日本はエネルギーの供給先を失い、やむなく戦争を始めたことになります。

またこの仕掛けられた戦争についての根拠となっているのが東京裁判の判決、そして昭和天皇の「先の戦争は石油に始まり石油に終わった」という言葉です。

 

まとめ

果たして事実はどうだったのか、今後解明されるのかわかりませんが

私がFPとして皆さんに知って欲しいのは社会保障や年金はその時代時代の状況によって

その在り方を大きく変えるものであるということを理解して欲しいということです。

「政治」や「経済」、世界のニュースなどを見たり聞いて、今後世の中がどう変化していくのかをただ流されるのではなく自分なりに予測して、備えるということが大切だと考えています。

 

再び戦争が起きるのかはわかりませんが、社会保障という仕組みの在り方さえ今後は大きく変わる可能性があるということを意識して、自分で備える自助努力を忘れないで欲しいと考えています。

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