11月は生命保険の月?知っておきたい3つの出来事と現代の転換点

戦後、日本において生命保険の普及を進めていくにあたって

GHQ(連合国総司令部)保険担当官J・P・ロイストンは

昭和22年(1947年)11月に日本における生命保険の普及促進の月と認定しました。

 

何故11月が生命保険の月?

 

当時の日本は一次産業(農業など)に就労する人口が多く、

11月は秋の収穫によって農家の方の懐にお金が入ってくるタイミングを

狙ったマーケティングだったと言われています。

農家の方のように収穫時期にまとまったお金が入ってくる人が

一年分の保険料を収める年払が日本で浸透したのは

この販促活動によるものが大きいとされています。

 

保険会社によって異なりますが年払にすると月払保険料と比べて1〜5%前後の

保険料が割り引かれるのは契約者にとっても嬉しいという方は現在でも少なくありません。

金融商品は一般的な商品と異なり値引きができませんから割引になるというのは非常に重要なポイントです。

 

11月は年内残り2ヶ月を切ったタイミングですので、

生命保険料控除など今年の所得税、来年の住民税の還付を考える

タイミングとしてもちょうどよかったようです。

(生命保険料控除が始まったのはその後ですが)

 

最も保険募集人が「保険月(キャンペーン)だから」と言われても、

加入する言われはありません。

それは保険募集人の都合であって、契約をするかどうかは本人のタイミングが重要だからです。

一方で保険加入というのは健康状態を厳しく診査します。

健康診断で一つでも数値が悪いと加入を断られる場合もあります。

要経過観察(C)で断られる場合もあれば、要再検査(D)、要治療(E)などでも

加入ができる場合があり、申し込む会社と保障内容によっても異なります。

 

言い換えれば様々な選択肢から選べる自由というわがままが許されるのが健康な状態です。

人というのは身勝手な生き物で、買えない(加入できない)となるとそれが急に欲しくなる生き物です。

多くの方が感じていることですが、健康というのは年齢とともに衰えてくるものです。

特に若い頃と比べて代謝が落ち、運動の時間が減り、

コンビニレジ横で揚げ物などコレステロールの高いものを

つい買い食いしてしまうとあっという間に数値は悪化します。

保険募集人をよくセールスマンと混同している方がいますが、

セールスであればいつでもお金さえあれば物を売ってくれますが

保険は今後二度と加入ができないかもしれない眼に見えない保障を提供してくれる存在です。

 

出会った保険募集人がどうしてもいけ好かないというのであれば契約者には選ぶ権利がありますが、

「保険を売られる」と感じるのは早計と言えます。

そう感じる人は「保険」という仕組みが存在しなかった時代の日本人と同じくらい教養が乏しい状態かもしれません。

 

保険が広まるきっかけになった三つの出来事

 

日本に生命保険を紹介した人物

日本における生命保険が浸透するきっかけになった代表的な出来事は大きく3つあります。

一つは福沢諭吉氏が『西洋旅案内』で欧米の様々な文化を紹介したことです。

欧州の議会制度などの政治・選挙の仕組みや食文化など多岐にわたって紹介しました。

この本によって日本に広まった食べ物の代表格は今では国民食とも呼べる人気の食事、カレーライス。

欧米文化の一つとして、『保険』もまた紹介されました。

福沢諭吉が『請負』と訳したそれは船の運搬による積荷が難破、沈没、水濡れなどで

損失が生じた場合に事前に互いに掛け金を負担することで、

万が一の事故の際に補填する海上保険、

火災によって家屋などを失った際の火災保険、

そして一家の大黒柱が倒れた時、万が一亡くなってしまった場合の生命保険など

現在は『保険』と名前を変えていますが、その基本的な役割・機能は

当時から変わっていない大切な役割を持っています。

 

福沢諭吉はまだ日本でそもそも馴染みのなかった『保険』という考え方、

特に人の命に保障をかけるという考え方を次のように評しています。

「保険の法は人の品行(ひんこう)廉恥(れんち)にも与(あずか)りて力あるものと知るべし。」

民間経済録より

現代語:保険は人間の持つ知性と気品の根源である

 

福沢諭吉が保険を紹介してから15年後、明治14年(1881)に、

慶應義塾の教え子の阿部泰蔵によって、日本初の生命保険会社(現在の明治安田生命)が誕生。

旧明治生命創業者 阿部泰蔵

 

旧安田生命創業者 安田善次郎

 

2番目は帝国生命(1888年設立、現在の社名は朝日生命)、

3番目は日本生命(1889年設立)が設立されました。

 

まだ保険という概念の根付いていない生命保険に対して「人の命に、お金を掛けるとは何事か」と

賭博との違いが分からない当時の人からは非難もされたそうですが、

福沢諭吉は教え子が作った生命保険会社の第1号契約者となり、

明治安田生命には福沢諭吉の当時の健康診断結果が残っているそうです。

 

日本で最初の保険金支払いの日

 

日本最初の保険金は1881年(明治14年)7月9日に

日本で最初に設立された有限明治生命保険会社によって、

1882年(明治15年)1月27日に支払われました。

この最初の保険金支払の対象になったのは警察関係の方で、支払った保険料が30円。

遺族が受け取った保険金は1000円とのことで、当時の物価から推測すると、

現在なら保険料10万円、保険金300万円程の金額だったとされています。

 

死因は心臓発作。この保険金が支払われたという事実は新聞にも掲載され、

日本人は生命保険が一家の稼ぎ手が倒れた時に経済的な支えになる事を驚きと共に受け入れたそうです。

以降、生命保険会社が日本国内に広く誕生することになる契機となりました。

 

戦後再出発の保険会社を支えた女性たちの活躍

 

1945年に終戦を迎え、日本は戦争に負けました。

戦時中に発行した膨大な戦時国債は紙切れとなり、日本はデフォルト(債務不履行)をしました。

銀行は閉鎖され、新しい円紙幣への切り替えには時間がかかりました。

焼け野原からの再出発、日本国内で生命保険が急速に普及していくきっかけになったのは

戦争で夫や子どもを失った女性たちでした。

 

仕事をするにも経験もなく、知識もない女性たちに仕事を与えたのが生命保険会社でした。

保険会社は働き手を失うことの家計における経済的リスクを身をもって感じている彼女たちを

保険募集人として雇用し、日本中に生命保険を販売しました。

奇しくも戦後日本の復興と合わせて景気は回復し、上向き、

戦前と異なり自営業ではなく給与所得者が増え、収入は右肩上がり。

貯蓄性の高い養老保険や終身保険が次々と売れ、

日本はバブルを迎える頃にはアメリカを抜く世界第一位の生命保険の世帯加入率にまでなります。

 

バブル崩壊、金融自由化と外資参入で混沌の時代に

 

…が、バブル崩壊と共に日本の生命保険業界は大きな変革の波に飲み込まれます。

銀行・証券会社の不良債権問題からの脱却を図るために、

国・金融庁もこの再建に20年以上の時間を要しました。

 

金融の自由化は銀行に新たな収益の柱をもたらすために解禁されたとの見方もできますし、

国民からの資産を金融機関に合理的に集める役割を担ったと言えます。

この点については別な機会に紹介をしたものがありますので、

ご興味のある方は下記をご参照ください。

→ 危険!?銀行と保険会社の共倒れリスク

 

保険離れが加速する日本と増加するジャンル

 

これは2年前のデータですが、一時期95%を超えていた世帯加入率はついに90%を下回りました。

 

男女別の加入率(全体)では間もなく80%を下回りそうな気配です。

 

生命保険大国と呼ばれる日本では銀行に次ぐ身近な金融機関である保険会社。

しかしアメリカやイギリスの金融先進国と比べた際に日本人の保険加入の状況は歪(いびつ)です。

生命保険が持つ資産運用・資産形成機能を十分に活用することが出来ていないのです。

特に後れを取っているジャンルが変額保険と呼ばれる資産形成商品です。

間接投資に位置づけされる水色の枠の部分は日本の確定拠出年金、または変額保険が占める割合です。

この2つの制度・商品は運用益非課税という特性を持つ、長期の資産形成に役立つものですが、

(平準払の)変額保険の提供会社は国内41社ある生命保険会社でわずかに4社だけ。

確定拠出型年金に至っては2001年に解禁されてから様々な改正を経て2017年、

個人型確定拠出年金(iDeCo)として大幅な税制優遇と対象者の拡大にこぎつけました。

 

今後、日本の保険の加入状況を大きく左右するのはこの変額保険と呼ばれる、

証券会社と重複するジャンルでの資産形成における競争です。

保険選びが変わった2017年改訂後~変額保険に注目

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