保険の歴史2~近代生命保険会社の誕生と機関投資家としての役割

前回の『保険の歴史1』の後半で紹介した英国エクイタブル生命の誕生を契機に、次々と生命保険会社が誕生します。近代生命保険の歴史は保険会社の巨大化の歴史でもあります。

生命保険訪問販売の歴史

1848年にイギリスで設立した産業労働者のためのローンを受け付けた会社The Prudential Mutual Assurance Investment and Loan Associationは、

1854年に世界で初めての訪問による生命保険販売を開始します。

英国で工場労働者のための生命保険を販売した会社をプルーデンシャル、日本ではかつてPCA生命(現SBI生命へ事業継承)として展開をしていました。

日本でのPCA生命のロゴ

英国本国では社名もロゴもPRUDENTIALとなっているのにアメリカで創業した別法人と社名が被ってしまうためPCAと別名を名乗っている点はこの後で紹介する大人の都合によるものです。

英国本国ではこちらのロゴを使用している

 

 

新世界を求めて、大西洋を渡ったアメリカ大陸では南北戦争が終わったばかりのまだ貧しい時代。1875年にアメリカではこの英国の労働者保険にあやかって週払3セント(コーラ1瓶5セントの数年前の時代)労働者保険を販売する会社が登場します。

社名を英国からの移民に馴染みやすくする目的でPrudential Friendly Society(プルデンシャル友愛会)として設立されたのが現在の米国プルデンシャル・フィナンシャル(PFI)でした。

工事での労働者を主な顧客として、給与手渡しの時代に給与が配られる横で保険料を集金して、廉価な保険料で加入できる簡易保険としてアメリカ国民から絶大な支持を集めます。

この仕組みに至るまでの創業当時の逸話が今も同社の社史の中には残っています。

創業間もない頃、ある保険契約者が亡くなりそうになると保険金の原資となる積立金がまだ不足しており、創業者ジョン・F・ドライデンは社医に何としても延命するために自分が戻るまで心臓マッサージを止めてはいけないと命じます。

ドライデンはその間に契約者の元を自ら訪ね歩き、未払い保険料の集金を行い、保険金を支払う用意をしたそうです。

こんな苦労はもうしたくない…黎明期の資金難の中でドライデンは船に乗り、英国プルーデンシャルの門を叩いたそうです。

「私はアメリカで、御社に倣って労働者のための生命保険販売を始めました。しかし、上手くいっていません。私に御社のノウハウを教えていただけないでしょうか」

今では考えられないことですが、英国プルーデンシャルはこの申出を引き受けて、ドライデンはシステム化された生命保険会社の経営をアメリカに持って帰ることができたそうです。またこの際に社名の借用も同意を受け、帰国後に持ち帰ったノウハウを元に経営を再建。米国最大級の生命保険会社へと発展をする礎を築いたそうです。

時代と共に変化してきたPFIのロゴ、ジブラルタルロック

プルデンシャル・ファイナンシャル(PFI)はその後も発展を続け、1989年には世界初の余命6カ月以内と診断された際には生きている間に保険金を受け取ることのできる「リビング・ニーズ特約」を無償で提供開始します。また他社にもこの特約を無償で付けられるようにするなど生命保険の在り方を変えていきます。

 

英国と米国の経済が逆転した時に、米国プルデンシャル・ファイナンシャルは英国プルーデンシャルを追い抜き現在に至りますが、同じ社名の会社なのに資本関係もないなど少し不思議な感じがしますね。

2001年にニューヨーク証券取引所に上場し、現在も米国最大級の生命保険会社として君臨し続けています。

尚、米国プルデンシャルは欧州で営業をする際には英国プルーデンシャルに配慮してPramerica(Prudential +America?)という社名を利用しています。

 

日本では1981年にウォークマンやテレビで有名だったソニーと合弁で会社を立ち上げています。

日本での営業開始時の新聞広告、ライフプランナーは商標登録の営業マンの呼称

その後、外資系金融機関の単独参入が解禁されると現在のソニー生命(旧ソニー・プルデンシャル生命)とプルデンシャル生命とそれぞれの独立した保険会社としての道を歩んでいくことになります。

このソニー・プルデンシャル生命の誕生は生命保険におけるコンサルティングの歴史、日本のファイナンシャル・プランナーの歴史とも密接な関係がありますが、それもまたいずれ改めて触れたいと思います。

 

戦地へ赴く軍人たちの支援を契機に誕生した保険会社

生命保険会社の設立には現在もそうですが多額な資金が必要でした。アメリカでは前述のプルデンシャル・ファイナンシャル誕生の少し前、当時のアメリカの南部は黒人奴隷によるプランテーション(大規模農園)が盛んに行われることで成り立っていました。

1860年に大統領に就任をしたエイブラハム・リンカーンが奴隷制反対の立場を取っていたことから南部で独立の機運が高まっていたことに端を発して米国史上最大の内線、南北戦争が勃発します。

1861年に始まった内戦は1864年にワシントンDCにまで進軍しましたが、両軍ともにあらゆる国力を投入する世界で最初の総力戦となり1865年に終戦を迎えます。戦死者は両軍合わせて50万人、米国史上最大の犠牲を出しました。

この激戦を目の当たりにしたニューヨークのビジネスマンたちは資金を出し合って1863年にthe National Union Life and Limb Insurance Companyを設立したのが現在のメトロポリタンライフ(メットライフ生命)の起源とされています。

海外SFドラマなどで悪の秘密基地などで描かれる旧パンナムビルが現メットライフの本社

日本でも戦地へ赴く軍人のために設立された保険会社で富国生命(富国強兵が社名の由来)というのがありますが、戦争が人生における経済的なリスクであることは各国共通と言えそうですね。

南北戦争後、メットライフ生命は都市の生命保険会社として発展を遂げていきますが1912年4月、メットライフ生命に大きな転機が訪れました。

大西洋を処女航海中だった豪華客船タイタニック号が沈没、乗客名簿から生存が絶望的または行方不明とされる方の家族に保険金を支払うことを決めました。

このことはその後の災害死亡などの際にも保険金支払いが受けられる経済的保障としての生命保険の役割を拡張した大きな出来事として記録されています。

カナダ産業革命による国策保険会社設立

現在も10カナダドルの紙幣に描かれるマクドナルド初代首相、日本で言えば伊藤博文にあたる人物

米国の南北戦争後にカナダでは産業革命が急速に工業化が進んでいました。マニュファクチャラーズ(工場労働者)のための生命保険会社設立は国が提供する社会保障の補完的な役割があり、カナダ建国の父であるジョン・A・マクドナルド初代首相が首相退任後にマニュファクチャラーズ・ライフ・インシュアランス・カンパニーの設立に同意、初代社長に就任します。

海外展開に積極的で、1897年に中国・香港。1899年にシンガポール、1900年にマレーシア、1901年には日本・フィリピン、1902年にタイ。1903年に米国(社名は買収したジョン・ハンコックを呼称)、インドネシアへ展開をしています。第二次世界大戦で一時アジア地域の営業を中止しますが、経済活動の国際化という観点では先駆けともいえる企業です。

日本では1999年にマニュライフ・センチュリー生命として再上陸。2000年に経営破たんした第百生命を事業継承し、マニュライフ生命として現在、カナダ最大の訪日企業となります。

 

機関投資家としての保険会社の役割

保険会社が18世紀以降、次々と誕生した背景には産業革命(工業化)による第二次産業における労働者(給与所得者)が都市部に大量に誕生した事が影響しています。

都市部は物価が高く、また限られた給与で都市部の生活を維持するためには労働者が健康で働き続ける必要があります。しかし労働者(特に一家の大黒柱)が倒れると社会保障だけでは生活が立ち行かなくなるという問題を抱えることになり、その経済的バランスを補う役割がこの時代の”近代生命保険”にはありました。

また19世紀前後になると『金融』の高度化が保険会社の拡大に多大な影響を与えます。

1869年5月10日開通式での写真、西部開拓時代が本格化する

 

例えば米国では1859年大陸横断鉄道の建設にあたり、エイブラハム・リンカーン大統領によって大量の国債の発行が行われました。1862年までに西海岸と東海岸を結び、後に日本からやってきた岩倉具視使節団もこの完成したばかりの大陸横断鉄道を利用してアメリカ各地を視察して回りました。

まだ飛行機での輸送が主流ではなかった時代、輸送の中心は海運でした。(今でも空輸はコストが高いですし)

プルデンシャル・ファイナンシャル(PFI)創業者のジョン・F・ドライデンは後に議員となり、1914年にパナマ運河建設を提唱します。南米大陸のを迂回するよりもショートカットできるこのルートの確保は、輸送時間と輸送コストの大きな削減になります。建設のために発行される大量の国債の引受先として生命保険会社が名乗りを上げました。

今ではスエズ運河と並ぶ世界の海運の要所、膨大な資金が必要だったのは言うまでもない

生命保険は長期の保障を約束するために長期国債などの債券を購入する機関投資家です。

契約者が支払う保険料は保険事故が発生しなければ即座に保険金として利用されることはほぼないため、全国や全世界から集まってくる膨大な保険料を保険会社は原資に国や企業が発行する債券の購入や株式への投資を行います。

保険会社に集まってくる大量の保険料は会社によっては一国の国家予算を上回る規模にも匹敵し、保険会社は機関投資家と呼ばれる国・世界の経済に与える影響の大きな金融機関となります。

銀行のようにすぐに引き出す預貯金や、証券のよう売買手数料を稼ぐ仕組みとは根本的に異なるため、長期保有というほぼ負けない投資方法である『長期保有』(バイ&ホールド)ができる数少ない金融機関と言えます。

ショベルカーやダンプカーもない時代に高さの違う太平洋と大西洋の海面をつなぐ閘門式工事に挑んだ

このようにダム建設や高速道路、発電所、電線や水道管などの社会的インフラの整備に長期保有を前提とする生命保険会社が19世紀から20世紀にかけて多大な役割を担いました。

 

株式市場と日米通商問題

話は変わって1801年に世界最古の証券取引所、ロンドン証券取引所が設立されます。

東インド会社、モスクワ会社など貿易のための企業を安定的に支える目的で経営のための資金を世の中から広く集める目的で設立されました。

世界最古の証券取引所の設立から凡そ100年後、1903年にニューヨークにウォール街(マンハッタンの南端地域)が建設され始めると、株式の公開を証券取引所で行う上場システムが誕生していきます。現存する世界第二位の歴史を持つニューヨーク証券取引所(NYSE)です。

”ビックボード”の愛称で親しまれているNYSE

その後、世界中に証券取引所が設立されますが、様々な投資のルールがニューヨーク証券取引所(NYSE)から誕生したことについてはまた改めていつかご紹介したいと思います。

証券取引所が設立されると株式市場が活性化したと考えられる方も多いと思いますが、証券は株式だけでなく債券の流通の役割も担っています。

株式、債券の取引が活発になることによって保険会社は様々な企業・国の経済活動にも多大な影響を与えるようになります。

例えば1955年にアメリカで創業した世界初の『がん保険』を販売開始したアフラック(American Family Life Assurance Company of Columbus)は日米関係における立場を利用して『がん保険』の独占販売を日本の大蔵省に認めさせました。また日本支社として日本法人化せず、保険料と収益をアメリカに吸い上げるビジネスモデルを確立します。(2018年に日本法人化)

30年におよぶ独占契約件数を合算して保有契約件数No.1を嬉々として掲げるアヒルの会社

1954年に日本で戦後第一号の外資系生命保険会社として営業を開始したアリコ・ジャパンは営業免許取得当初は在日アメリカ人のための生命保険提供を行う日本支社として誕生します。

しかしその後、日本人向けにも医療保険の販売を開始しますがその際には日本の生命保険会社に「日本の生命保険会社は主契約を医療保険とする商品販売を禁じる」という日米関係に基づく不平等規制を設けます。アリコ・ジャパンもまたアフラックと同様に日本法人化をせず、保険料収入と利益をアメリカへストローのように長年提供する役割を担いました。

1990年代の金融自由化に際してこれらがん保険・医療保険の規制は緩和されますが、膨大な保険金支払いのデータを持つアフラックやアリコ・ジャパン(現メットライフ生命)の後塵を拝す日本の保険会社は2000年頃まで単独の保険商品開発が医療・がん保険分野においてできずその契約高の差は年々縮小しつつありますが、保険料収入の面でもまだまだ遠い背中となっています。

 

一民間企業であるはずの生命保険会社が、どうして日米関係などの貿易通商問題に大きく絡んできているのでしょうか。これは保険会社がもたらす収益は、自国の大きな利益になると当時のアメリカ政府が考えていたためだと個人的には考えています。

ではアフラックやアリコ(メットライフ)などの大株主とは誰でしょうか?アフラック本体の株主は非公開です。

株式の保有率が高いと大株主として会社の経営権(議決権)を入手することが出来ます。

経営権を握っている人が考える経営を行っていくのは当然の流れです。

日米通商交渉の材料として、大きな影響力のある生命保険会社がアメリカの懐刀として突き付けられたと考えるのはそれほど不自然な話ではないのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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