生命保険の歴史と変遷

国内で実に多くの方が加入している生命保険の歴史を皆さんはご存知でしょうか?

今回は意外と振り返ることが少ない、生命保険の歴史を紹介します。

1生命保険誕生の歴史

初期の生命保険はヨーロッパのギルドと呼ばれる同じ職業の人たちで作る組合制度の仕組みから17世紀に誕生しました。

諸説ありますが、教会に所属する牧師たちが自分たちの死亡時の葬儀費用などのための積立金制度がその起源とされています。

しかし高齢の牧師ほど早く亡くなるという自然の摂理に対して、積立金は若くても高齢でも同じ。

このため若い牧師たちから不満が上がり、この初期の生命保険は数年で廃れてしまいました。

その後、英国の天文学者エドモンド・ハレーが天文の軌道計算など数学を用いた様々な発見を残し、

「大数の法則」に基づく死亡率の統計学を確立しました。

若い人は少ない保険料で、高齢の人は多い保険料で加入するというリスクに応じた

公平な保険料分担の方法が発見され、生命保険は大衆に広がっていきます。

17世紀のヨーロッパ、特にイギリスでは産業革命の真っただ中。

これまでの農業従事者が大半だった時代から、工場労働者が増え給与所得となる人たちが都市部に集中していきました。

一家の大黒柱が倒れた時、遺された家族の生活費を支える給与を補う保障という役割が求められ生命保険は急速に市民権を得ていきます。

2大数の法則という確率論

生命保険が成り立つ根底には「大数の法則」という考え方があります。

たとえばサイコロを一回振って特定の目が出るか確率は6分の1ですが、

何千回と振り続けていくとこのばらばらの確率はいつか限りなく等しくなるということを

私たちは経験として知っています。

人間は誰しもいつか必ず亡くなります。

残念ながら若くして亡くなる方もいれば、100歳、110歳と長生きの方もいます。

しかし人がいつか必ず亡くなるという事実は変わりません。

何歳の人が何人亡くなるという統計を表した生命表という統計があります。

生命保険会社はこの統計を基礎に保険料を算出するということをしています。

この生命表を世界で最も最初に導入した生命保険会社が英国エクイタブル生命でした。

(かつては日本法人として同名の生命保険会社として進出しており、

生命保険業界の吸収合併により現在はアクサ生命となっています)

死亡という人生においてたった一度だけ起こる出来事。

いつ起こるかは誰にもわからないその時に、

経済的な備えが十分に出来ていなかったとしたら遺された家族は

その生活を維持することが大変困難になってしまう。

この経済的バランスを保つ生命保険は統計という高度な数学によって成り立っています。

3日本における生命保険の黎明期

かつての日本は村社会でした。同じ村の誰かが倒れれば、村人みんなで支える。

そのため村で生きる者にとって村八分にされることは社会的な死を意味していました。

明治時代になり資本主義の基本的な考え方が普及すると村との関係は徐々に疎遠となり、

親族で完結する補完関係を築きます。

葬式・結婚式などの冠婚葬祭は親族とのつながりを確認するとても重要な場でした。

子どもが生まれてから大きくなるまでの確率がとても低かったために

兄弟をたくさん産んで育てることが一般的だった時代です。

子どもが幼くして亡くなることが多かったために七五三などのお祝いの風習が生まれ、

現在に形を少しずつ変えながら残っています。

明治時代、福沢諭吉が『西洋旅案内』の中で様々な欧米文化を紹介したことで

日本でも生命保険の普及が始まりました。

社会の変化(村社会から家族社会、そして核家族化)と資本主義の時代の到来によってこれまでの助け合いでは支えられない時代の変化が訪れることを予測した多くの門下生らによって日本で最初の生命保険会社:安田生命相互会社、日本で最初の生命保険株式会社:明治生命株式会社などが誕生します。(のちに二社が合併、現在の明治安田生命へと受け継がれていきます)

当初『人の生き死にで稼ぐ商売』という偏見もあり、なかかな普及しなかった日本の生命保険は徴兵保険(現在の学資保険)として貯蓄性商品として普及していきました。徴兵令が届くと保険料の支払いが免除され、出兵に必要な資金が保険金として支払われるこの保険を大々的に宣伝したのがフコク生命(富国生命)、富国強兵政策という時代の流れに乗った保険会社も登場しました。日本人は当時から貯蓄好きな国民だったようです。

日清戦争、日露戦争、太平洋戦争を経て、各生命保険会社は多くの世帯主を失った未亡人の働き口として保険外務員という職業を提供しました。国の政策によって保険内容はどこもほぼ同じパッケージ売りという護送船団方式によって日本の生命保険加入率は90%まで普及します。世界でも類を見ない生命保険大国となりました。

一方で経済成長で復興を遂げた日本に外資系金融機関が1970年代に参入を始めます。

がん保険を独占的に販売する許可を得たアフラック、

医療保険単体を販売する許可を独占的にできるアリコジャパン(現在のメットライフ生命)などです。

※当時の生命保険会社は医療保障は特約でしか提供されていない時代でした。

廉価で顕在的なニーズの医療保障はこの頃から急速に普及をしていきます。

また法律・税務・社会保障などが複雑に絡み合う独特な金融商品である生命保険が、結婚をしている人と独身者で同じというのはおかしいと今日のファイナンシャルプランナーの原形となるコンサルティングセールスによるオーダーメイド設計の保障を提供するソニー・プルデンシャル生命(現ソニー生命)が1981年から営業を開始すると保障は一人一人の価値観に合わせて加入する時代となりました。

4乗合代理店登場と複合代理店の時代へ

1996年に金融ビックバンによって銀行・証券・保険の相互参入と代理店による営業が解禁されると様々な異業種からの参入も相次ぎました。銀行窓口での保険販売が段階的に解禁になると同時に、生命保険の乗合代理店も解禁されました。

トヨタ系列のあいおい損保が誕生したり、東京海上日動火災がソニー生命へ損害保険ノウハウを提供してソニー損保が誕生。ソニー生命が東京海上日動火災へ生命保険ノウハウを提供して東京海上日動あんしん生命が誕生するなど現在も続く先進的な保険会社の多くがこの時代に登場しました。また自由競争が推奨され、各社の商品特徴が護送船団方式とは大きく変わり、各社特徴のある商品開発がされるようになりました。

多様な価値観に合った商品開発を1社ですべて行い続けることは事実上不可能で、洋服や家電などと同じように生命保険も自分に合った商品を組み合わせて選ぶ時代を迎えました。

2010年の保険業法改正によって少額短期保険(ミニ保険)など独自性を打ち出した商品開発が解禁されるとペット保険などの独自色の強い商品が次々と誕生しています。

また2016年からは保険業法の改正、2017年4月の保険料率改訂によって保険業界は生命保険・損害保険に留まらない顧客のライフプランニングを実現するために多様化の道を進んでいます。

弊社日本ファイナンシャルプランニングでは顧客のライフプランニング実現のために、ワンストップで様々なサービスをご用意しております。

生命保険や損害保険だから出来ることと、生命保険・損害保険でも出来ることは意味が異なります。

ライフプランニング表作成、生命保険・損害保険、不動産売買・賃貸・投資、住宅ローン見直し、確定拠出年金の導入・運用相談。

たくさんの選択肢の中から選べるベストプランの提供を私たちは目指しています。

このブログをご覧になられた方で、多様な選択肢の中から自分に合ったライフプランを描きたいと感じていただきましたら

是非弊社までお問い合わせください。

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