一社専属保険募集人から乗合代理店へ移籍したとあるFPの話

巷では節税保険”プラチナ系保険”の経理処理についての通達が発令されるとのことで駆け込み祭りで慌ただしく全国を飛び回っている方もいるようですね。

“駆け込み需要”があるという事は、多くの経営者や税理士、そして保険募集人にとっては「過去に遡求される可能性は低い」と考えているという証左です。まぁ、分からないですが。

蓋を開けて見なければ、そこに厄災が入っているか希望が入っているか分からないのがパンドラの箱です。

だからこそ保険会社も申込期日をかなり早く区切ることに苦心しましたし、負うリスクに対してリターンが大きいと考えるほどに挑戦する価値はあるのではないてでしょうか。

さて、今回のような通達があってもなくても保険募集に携わっている人にとって日頃から考えなければならない命題があります。

 

「私たちの仕事は誰のためにあるのか?」

 

保険募集の仕事をしている人の中には新卒から保険業界という方もいると思いますが、異業種からの転職者が圧倒的に多いと思います。

保険募集の仕事を自分の職業にしようと考えた理由は人それぞれでしょう。

稼ぎたい…という人もいるでしょうし、

大切な人を守りたいという想いを、分かち合いたいという人もいるでしょう。

人の役に立ちたいという人もいますね。

自己成長を目指す人もいるでしょうし、人によって様々です。

保険業界における保険募集人の多くは固定給ではなく、歩合給です。サラリーマンのように会社が仕事を与えてくれる訳ではなく、自分で見込客を発見し、商談可能な状態にして自らの手で契約も各種手続きも行う必要があります。

サラリーマンのように固定給ではありませんから、稼ぎたければ頑張った分だけ稼げます。

ある海が大好きな保険募集人は週4日海の上で過ごし、週3日だけ陸上で過ごすという人もいるらしいです。

保険業界に入ったばかりの頃は覚えること、やる事が山積みで自分が生き残るのに精一杯という人もいます。

週2日の定例MTGだけは出社する必要がありますが、その他は活動計画書と活動報告書を提出しておけばどこで何をしていても良いという自由業です。

こんなフレックスな働き方に憧れて保険募集の世界へ飛び込んでくる人もいますね。

どんなレジェンドにも、スーパースターにも初月があります。そして何ヶ月、または何年か働いてみると自分なりの仕事のスタイルが構築されていきます。少し周りを見れるようになるとふと考えることがあります。

“自分の仕事は本当にお客様の役に立っているだろうか?”

 

契約間も無く、保険金の支払いをする事になる担当者は少なからずいます。

しかし殆どの保険募集人は保険金どころか入院・手術給付金さえ支払う事なく数年間を過ごします。

他社や乗合代理店のFPによる提案に競合する事も経験するでしょう。

同じ職場から代理店へ移籍して活躍している先輩や後輩の噂を聴く事もあります。

お客様から本当の意味での感謝を感じる時は容易にはやって来ません。何故なら保険金が支払われる時はお客様が人生において大変な時だからです。

人生において大変な時に初めて本当の意味で感謝される保険の仕事は良い保険に加入できたという感謝や保険契約の内容の確認に尋ねて理解できたという感謝と本質的に異なります。

場合によっては本人から感謝の言葉を聴くことが叶わない事さえあります。

買って終わり、契約をして終わりではなく、納品までの長い長い年月が必要になります。

だから保険契約を考える際の本質において担当者がとても大切ですし、担当者はメンテナンスの重要性を理解して、サーブできる人でなければ行けません。

また感謝される機会が他のビジネスと比べて驚異的で圧倒的に極端に少ないという点において、自分の信念や価値観をハッキリと持っていること。

“心の強さ”が何よりも大切だと私は考えています。

 

一社専属の保険募集人の世界は狭い世界

同じ会社に所属して、同じ商品を扱い、同じルールに従って働いている中では契約高=発言力です。契約高の高い人たち(エグゼクティブ◯◯など)の意見が神の意見です。

“代理店はニードセールスをしていない”

”保険の本当の価値は自分たちにしか伝えられない”

私が保険会社所属時代に支社長や自分の育成担当だった営業所長、支社の先輩やすんごい成績を毎週挙げてくる同期や後輩らの話を耳にしながらどうにも腹に落ちませんでした。

“保険代理店はニードセールスをしていない”

代理店で出来ていない人が多いのは実態としてあるでしょう。

入社のハードルに学歴や営業実績というふるいがないのですから、当然そうなります。

しかしその商談の場に同席した訳でもない人に何が言えるでしょうか?

“保険の本当の価値は自分たちにしか伝えられない”

一社専属の保険募集人が何を言っているのでしょうか?それこそ一社専属の保険募集人の思い上がりではないでしょうか。

今回は管理人の良く知る”とある保険募集人”の話です。

外資系生保はカルト集団

彼は外資系生保に6年ほど所属していました。所属したことがない会社をひっくるめて言うのもなんですがと彼は皮肉交じりにこう言いました。

「一括りで言わせてもらえば外資系生保はカルト集団です。」

彼の所属していた会社では自分たちで”体育会系宗教法人”と呼んでいるくらいですからまぁ当たらずも遠からず、カルト集団です。

どこでそうなったのか分かりませんが、設立から20数年間の中で優秀な成績を挙げ続ける保険募集人を優遇して、保険という仕事の本質を何処かで見落したのか、変質したのか。

社会と時代の変化の中で変われなかったのか。(明らかなのは創業者がいなくなってから変えるべき所と、変えてはいけない所に後継者が実質的に不在で何も変えなかったことで現在に至っているということくらいです)

鎖国をしていた江戸時代の人々が諸外国の文化に初めて触れた時の気持ち、幕末の英雄たちが何を思ったのか彼は想像出来そうだと言いました。

 

しかしサラリーマンを辞め、多くのものを犠牲にして保険業界へ飛び込んだ末に、またもう一度あの苦しい時代に逆戻りする勇気が1年目、2年目の彼にはありませんでした。

とあるサラリーマンが保険業界へ転職した時の話

振り返れば彼はその会社を凄い会社だとは思いましたが、それは言わば当時ジャスダック上場の国内市場を相手にした中小企業で働いているサラリーマンからすれば世界何カ国で展開している会社を大きいと感じる当たり前の感覚だったそうです。

前職の売上高が数百億円の企業であれば、世界展開している金融機関の扱う数十兆円単位の契約高がヤバイくらいの規模であることは当然です。

格好良く言えばヘッドハンティングで、有り体に言えばリクルートされて初めて訪れた外資系金融機関の研修室で、壁に飾られた言葉の一つ一つに彼は感化されました。

“頑張っても頑張らなくても変わらない人生では頑張れない”

 

始めて接する外資系でフルコミッションで働くギラギラした人々…仕事についてのやりがいを熱く語ってくれた先輩FPは自分と年齢は10歳も違わない人でした。

“自分は挑戦しているだろうか”

“10年後に自分を振り返って、あの時挑戦していればよかったって思わないだろうか”

 

挑戦している人の姿は、老若男女を問わず格好良く見えるものです。

“30歳、独身、失うものがあるだろうか。”

なりたい自分がいたそうです。

これが自分の仕事だと家族に胸を張って言える仕事を探していたとも彼は言いました。

前職は大変なことも多かったけれど、自分が学生時代から望んで入った世界。そして入社した時の目標だった職に就いて、自分の掲げていた目標の売上高は当初の1年でクリアしたという成功体験から彼は自分の仕事に自信を深めていたそうです。

やればやった分だけ売上(数字)が出るのですから、楽しかったと彼は懐かしそうに語ります。

彼の父親もその数年前に定年退職を迎えて、仕事について改めて考え始めたのが、彼が30歳目前の時でした。

彼は次の目標を探していました。しかし、社内にその目指す姿は描けなかったそうです。

これまでやったことのない人生最大の挑戦を彼はチャンスだと思い飛び込むことにしました。

ヘッドハンティング…これは”試されている”と捉えました。

お客様と一緒に成長していける仕事

お客様と一緒に年齢を重ねていける仕事

お客様の人生において困った時に寄り添える仕事

自分だから出逢える人がいる、

自分だから話を聴いてくれる人がいる、

自分だから守れる大切な人たちがいる

 

だから大切な人たちの大切な人を守ろうと、サラリーマンを辞して保険募集の仕事に転職したそうです。

実際に転職をしてみて1ヶ月で思ったこと

現実はサラリーマンだった彼の想像の何百倍も過酷でした。

過酷だとは聞いていましたが、その過酷さはサラリーマンだった当時の彼に想像ができる過酷さではありませんでした。

通勤電車の中で週に何度もぶっ倒れたり、途中下車してトイレに駆け込み嘔吐して(幸い車内でゲロったら事はない)、商談先から終電を逃して漫画喫茶の寝転ぶと足も十分伸ばせないスペースで仮眠を取る。

朝起きても疲労は取れず、慢性的なストレスと休息のない日々が約1年続きました。

ヘッドハンティングなんてカッコいい言葉に浮かれていただけだったのかも。

 

初月ゼロ、2ヶ月目2件(身内)、3ヶ月目2件、4ヶ月目8件(親戚)、5ヶ月目1件、6ヶ月目ゼロ…

そんな中でも彼の提案や呼びかけを信頼して契約を託してくれる人が月日を重ねるごとに少しずつですが増えていきました。

一件でも預かればもう辞めるわけにはいかない…

転写紙の薄い一枚一枚の申込書がズシリと重く感じた経験は、保険募集人ならきっと誰しもあるでしょう。

契約を預かり、証券を届けて、紹介をもらってTelアポをする…グルグルグルグル出逢う人、話をする人が違うだけで、教えられたことを繰り返す。

近くまで足を運んだからと前職に顔を出せば「アイツと話せば保険を売られるぞ」と立ち去る元同僚たちの声が聞こえたそうです。

プロジェクト100を3冊なんて初月に前職の親しかった取引先の一人にTelしたら営業かけられたコールで、前職経由で本社にクレームが入り壊滅しました。

彼が大切だと思っていたものや彼が仲が良いと思っていた先輩や後輩や友人は、彼が一方的にそう思っていただけで相手にとってはそうでもなかったようでした。

 

前職の同期同士で入社早々に結婚した夫婦の奥様に電話をした際には「◯◯(旦那)と日程確認しておくね」と電話を切りました。

数日して日程を確認しようと電話をしたら着信拒否になっていました。

“ベースマーケットが一番う◯こ”

人によってマーケット開拓は異なりましたが、ハナから知り合いに保険の話をしないと決めている人もいるほどでした。

身近な人をX(ベース)マーケットとしてY、Zマーケットへ紹介無限連鎖で展開していけるという外資が今でも信じて教えているXYZ理論では出来るだけ早く早くYマーケット、Zマーケットへ展開していくことが成功の秘訣だと語られます。

 

しかし彼は6年間ほぼXマーケットでした。

Yは全契約の10%もいるかどうか。Zは本当に数名だったそうです。

交流会に足しげく通い、飲み会を開催して、胃もたれと二日酔いの頭を抱えながら飛び込みをして…ちょっとずつ毎日少しでも前に進もうと足掻きました。

元々酒に強い体質ではありませんでした。酒が美味しいと感じる事はなく、ノリの良さとテンションの高さだけ。

 

その結果、いつまでも直接的見込客の発見=Xマーケットだったのです。頭の中では紹介が欲しいと思いつつも、紹介依頼をして出てきた紹介がネットワークビジネス(MLM)の勧誘や健康状態の厳しい方と言うこともよくありました。

彼が保険業界へ転職をして半年が過ぎたある日、その後の保険募集人としての人生を大きく変える出来事が起こりました。

中央線に乗って移動中の車内で携帯電話に連絡が入ったのです。

お世話になった先輩からの一本の電話

着信は何度アポを取ろうとしてもお茶を濁してきた前職の先輩でした。

電車を途中下車して、掛け直した先で先輩は彼にこう告げたそうです。

「⚫️⚫️さんが昨日亡くなった」

この仕事では遅かれ早かれ出逢う日がやって来てしまった。⚫️⚫️さんはまだ40歳にならない年齢でした。

彼が新卒で就職した年にはすでにエリアマネージャーで、新店舗の立ち上げや営業会議では何度も対立したり、励ましてくれたり、応援してくれた言わば直接の先輩の一人でした。

彼は⚫️⚫️さんの元で仕事の厳しさも楽しさも学んだ。

その世代のいわゆる出世頭で、数ヶ月前に次長として栄転したばかりで、その話を元同僚から聞いて私は挨拶を兼ねて会社の入っているビルの入口で名刺を渡したばかりでした。

保険の仕事に転職しました。話を聴いて下さい。必ず役に立つ話ですから!

“今、忙しいから落ち着いたら…”

慌ただしそうに締まりかけのドアの方へ走っていく先輩を見て、商戦前だから仕方ないと、なかなか話を聴いてもらえないのはいつものことだと思って、その後ろ姿を見送ったのが、最後の別れになったのだそうです。

 

ーああ、そうか…だからプロが必要なんだ。

プロになったはずなのに、自分は全然アマチュアだった…

翌日、先輩の実家に弔電を打っている最中で2011年3月11日の東日本大震災を迎えて、そしてその半年以内に彼の同期58名のうちの半分が退職をしたそうです。

彼は成績が良かったわけでも、支社の先輩に恵まれた訳でもなく、ただただ意地だけで6年その会社にいました。

自分だから出逢える人がいる、

自分だから話を聴いてもらえる人がいる、

自分だから説得して人生について腹を割って話せる人がきっといるのだと信じて。

誰にでも大切な人がいる、それを守るために、

何度も心が折れそうになるたびにこの日のことを思い出し、どんな自分になればこの仕事が上手くいくのか、どんな自分になりたいのか、心に刻んで仕事をしたそうです。

何度も自分を奮い立たせようと苦手な自己啓発セミナーにも何度となく通ったそうです。

お金が足りなくて生活にも仕事にも行き詰まり両親や祖父母から仕送りをしてもらいました。

年収は前職の4分の1…学生時代からコツコツと貯めてきた貯金も、投資信託も、新卒で入った会社の持株会の株も全て売り、前に進むことだけを考えて働きました。

しかし成果という果実を得ることは彼が保険会社に所属している間、何年目になっても出来ませんでした。

4年目に1年同棲した恋人と結婚しかけましたが、不安定な収入と収入を補うための借り入れがある事を相手の親が嫌がって入籍直前になって破談になったそうです。

引っ越すお金もなくて、同棲していた部屋が更新を迎えるまで更に1年居続けたけど、婚約者はまぁ当たり前だけど帰ってこなかったそうです。

二人で暮らした部屋に一人で残される時よりも、二人で暮らした部屋を一人で片付けて掃除をすることの方が辛いのだと泣きながら何も荷物のなくなった部屋の掃除をしながら思ったそうです。

 

復帰しようとした時にはL字コミッションの最初の5年目を迎えており、収入は最低賃金に突入。そこから抜け出せない日々が続きました。

なんとか挽回しようとエンジンをかけ直そうとするけれど、半年間動かなかったらもうまともに活動をする気力が残っていませんでした。

5年目の秋、新商品改定は法人保険だけ。

個人保険をメインでやってきた彼にとって毎年改定される何らかの新商品は新しいマーケットを開拓するための蜘蛛の糸にしていましたが、それもその年には切れてしまったと感じ、この時に一社専属のリスクを痛感したそうです。

保険代理店への移籍に踏み切ったのは

そこから更に1年続けてみたけれど出口は見えず、頭を抱えていると交流会で知り合った人からほんの数ヶ月前に自分の所属していた会社の優績者が独立をして保険代理店を立ち上げたと聞いて会いに行ったそうです。

出来たばかりの保険代理店でしたが社長を慕って一社専属の保険募集人が他社生保で働く人を含めて次々やって来ます。

彼は面接を受けて、その新設代理店へ出る事にしました。

支社長に代理店に出る話を報告した時に彼はすぐに募集が出来ないと生活がどうにもならなくなるからと保険募集人資格の移管を懇願したそうです。

代理店の社長が独立する時にも頼んでみたがダメだったと言っていましたが、彼はダメ元で頼んでみたそうです。

答えは意外なもので、やったことがないけれどと言いながら本社に掛け合ってもらえたのです。

そして募集人資格は代理店へ移管され、廃業するよりも半月早く募集開始ができるようになり、6年ちょっとの保険会社での日々に終わりがやって来ました。

彼は思い出しただけで、吐きそうな外資系保険会社での記憶の中で最後に支社長が募集人資格を移管してくれた事だけは本当に器の大きさを感じたそうです。今でもとても感謝しているそうです。

(代理店に出る時に移管してくれないのは保険会社や代理店の嫌がらせである要素もありますが、保険会社に入社する時に退職後◯年間は同業他社で働かないという同意書を交わしている面もあります。この同業を他保険会社と捉えるのか保険代理店を含むと考えるかは解釈次第ですが)

代理店移籍をしてからの成績は

彼は代理店へ独立・移籍して1年目にサラリーマン時代の年収を回復したそうです。2年目はその1.5倍ほどの年収になり、順調にFPとしての仕事をしているようです。

彼は言いました。

“あの辛い時期があったから、今の自分がある。”

“正しい努力をしなければ成果は得られない、努力すれば誰もが認められるのは幼稚園までだと思う”

”決して器用ではない自分だけれど、自分を信じて託してくれている顧客がいる事が嬉しい。役に立っていると日々の仕事の中で感じられるようになった”

“2年目の1年間にお客様からご紹介を頂いて成約したお客様の数(Y/Zマーケット)は保険会社所属の6年間での数より多かった”

”一社専属で足掻いている人の全てが代理店で成功するかは分からないけれど、会社とベクトルが合わなければ所属場所は主体性を持って行動して変えていくべきだと思う。自分を活かすも殺すも自分次第”

彼はまたこうも言っていました。

“竹槍で俺たちは戦っていると直販の人は言うけれど、爪楊枝で戦闘機とどうやって闘うのですか?”

彼の今年のチャレンジ目標はMDRT入会だそうです。

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